デザインのすすめ。デザインとは何か。

投稿日: カテゴリー: BLOG

「デザインとは何か」を語ることはとても難しいものです。あまりに多くの意味を含んだ、大きな概念の言葉だからです。

 
試しに”Design”という言葉の意味を調べてみると(プログレッシブ英和中辞典)、”意匠、図案、設計、企画、模様、計画、企画、陰謀、意図、目的、美術作品、仕組み、構造” といった広範囲の言葉が並びます。「デザインは見た目だけの話ではない」と、最近よく言われるようになりましたが、まったくその通りであり、今ままでその認識が少なかったこと自体が、いかにデザインというものが社会的に認識されていないかを物語っているように思います。
 

もっと多くの人が「デザインとは何か」を理解する必要があるように思います。なぜなら、それはすべてのものづくり、サービスづくりに関連する大切な姿勢だからです。

   

デザインとは何か

「デザインとは何か」を世界中のデザイナーに聞いたところで、いろいろな答えが返ってくると思います。原研哉さんは「日本のデザイン」という書籍のなかでこう書いていました。

こうなりたいと意図することがデザインであり、その姿を仮想、構想することがデザインの役割である。 
         ー原研哉「日本のデザイン」

原さんは、書籍のなかで、デザインに関して「欲望」という言葉をよく使っています。「こうありたい」「こうなりたい」という強い衝動がデザインの根元にあるのだ、と。よりよい暮らし、よりよい製品を創ろうとすることがデザインなのだ、と。

  

デザインを説明する上で、たまに例にあがるのがこの「転がるバケツ」です。
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世界を変えるデザイン」という本で紹介されていたものです。重たい水を長距離運ぶためには、私たちが知っているようなバケツでは大変です。水の重さを手足で支えなくてはならないし、途中でこぼれてしまうかもしれません。それで考えられたのが「転がるバケツ」です。水のもつ流動性を利用することで、「水を転がす」ことが可能になりました。手で押すようなものではなく、真ん中に紐をくくりつけて転がすことで長距離を楽に運ぶことができます。

  

長距離の水を運ぶ場合と、すこしの距離を運ぶときでは「バケツのデザイン」は変わります。先ほどあげたバケツは、あの場所のあの目的にたいして「正しい姿を追求した結果」でした。でももちろん、日本の住まいには、あの姿は正しくありません。デザインとは、この世界の正しい法則を、人の営みに組み込んでいくような作業です。

  
<植物>
デザインとは、植物の葉や種の構造にある規則性に似ています。

ひまわりの種の育ち方は、美しい螺旋型であると言われています。それはおそらく「効率的に種を配置する」という目的に対する、正しい姿なのだと思います(諸説あるらしいですが)。植物の世界でも、ある法則にのっとった、暗黙の秩序とルールで、姿が決められています。
  
<音楽>
デザインは、音楽にも似ています。ほとんどのひとは、音楽に対する知識を持っていなくても「正しい旋律やリズム」を認識することができます。12音階は、隣り合う周波数が公比約1.0594の等比数列になっているらしいが、そんな理屈抜きで「正しい音なのかどうか」を人は理解することができるし、メロディやリズムの細かなズレを感覚的に把握することができる。そこには、世界の秩序やルールや、「あるべき姿」が存在しているからです。
  
<道具>
しかし、人の営みは、より複雑であり、植物や音楽のようにシンプルな目的ばかりではありません。食事を食べるための道具を考えたって、お箸、フォーク、スプーン、ナイフが生まれます。「お箸」という造形物を考えてみも、長さ、重さ、細さ、手触りのどれがずれても使いづらい。食事をとる大切なものだから、美しさも重要です。子供用はかんでも割れにくい素材が大事かもしれません。

   
すこしデザインという概念を分解して整理しようと思います。

⑴ デザインとは、創造である。

デザインという言葉は、まず大前提として「ものづくり(ことづくり)」という、何か新しいものを生み出すときに使うことばです。今はない造形物や仕組みを、新たに作り出すことです。創造がないところに、デザインはありません。間違った慣習や先入観にとらわれず、ゼロベースで「正しい姿」を想像し、創造することです。

 

⑵ デザインとは、本質的な目的の追求である。

デザインという言葉を使うとき、そこには目的が必ず存在します。目的がないのにデザインがある、ということはありません。転がるバケツは「もっと楽に気持ち良く、長い距離で水を運びたい」を目的(欲望)としています。短い距離であれば、こんな構造ではなくて、日本で良く見かけるバケツのほうが便利かもしれません。もしダクトを通せるなら、そっちのほうが正しいデザインかもしれません。正しい目的を見つけることができなければ、正しいデザインは絶対に生まれません。

 

⑶ デザインは、自然法則の追求である。

いいデザインは、人にとって「気持ちのいい」ものです。デザインは「気持ち良さ」の追求でもあります。例えば、さっきのお箸を例に考えると、その人の手の大きさに、ちょうどいい、長さと細さと重さと質感をもったお箸をつくることが必要です。それが少しでもずれて、長すぎたり、重すぎたりしたら「気持ち悪い」と思うでしょう。例えば、「料理に合わせてお箸を変える」というようなこともあるのかもしれません。

 

⑷ デザインは、美意識の追求である。

ある物が、機能的なデザインが成熟して暮らしの中に馴染んでいくと、次に美しさが重要になってきます。転がるバケツに美しさは必要ありませんが、例えば京都の町並みに合わせたバケツには、美しさが必要になってきます。コップのような陶器も機能が成熟したら、模様や素材によって価値が変わります。日本のように物が発達し、成熟した社会では、「デザイン=美意識」という考え方が強くなりすぎているのかもしれません。

 

アップルのデザイン

デザインを追求しているメーカーのひとつに、Appleがあります。ハードウェア、ソフトウェアを含めて全ての両雨域でデザインを強く意識しているため、Appleの製品は使っていて「気持ちがいい」のだと思います。

iMacは、背面が流線型になっています。斜めから見ると、とてもスタイリッシュで美しく見えます。ハードウェアの効率だけを考えていたら「無駄」な構造かもしれません。端っこにハードディスクがもっと入ったかもしれません。しかしAppleが考えるPCは、ただの「作業する機械」ではなく、インテリアの一つでもあるのだと思います。または、ひとが気持ち良く創造するためには、気持ちのいい創造的の姿が必要だと考えたのだと思います。今のPCに必要な目的は「ただ仕事がこなせる」というだけではないのです。

 

文鳥文庫

自社の話で恐縮ですが、文鳥文庫というものをつくりました。16ページ以内の素晴らしい短編小説を、蛇腹型に印刷して、カードのように販売するものです。

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数ページの作品を収録するには、製本するよりも、蛇腹型にしたほうが安定しますし、案外、読みづらさはありません。従来の本という形式は、短い作品に適していません。だから、走れメロスなどは「短編集」として販売せざるをえませんでした。短編には短編にあった「本の姿」を考える必要があります「本」という枯れた文化であっても、まだ新しくデザインされる可能性がいくらでも残ってるのだから、どんなもにでもきっとその可能性があるはずです。

 
 

デザイン後進国の日本

日本は、いつの間にかデザイン後進国になってしまった気がしています。海外のデザイナーからは、「日本のデザイナーは素晴らしい」とよく言われますが、本当に一部のデザイナーのことを指していて、社会全体としてはデザイン意識がとても低い国だと思います(それはエンブレム問題のときに顕著にあらわれました)。
 

それは「効率化」という目的があまりにも肥大になりすぎたからだと想います。効率化は、デザインの大切な要素ではありますが、全てではありません。効率化のみが強調されると、社会はすべて同じもので溢れかえります。同じような家電、同じような車、同じような家で、この国は溢れています。もちろん、社会が豊かになる上で、効率化は欠かせないことです。でもものが溢れ、成熟した社会において、それだけが目的であるならば、世界は本当に無味乾燥したものになってしまうと想います。原さんが言うようにこれからは「美意識で競い合ってこそ、世界は豊かになっていく」はずです。

日本社会はもっと「デザイン」というものを理解する必要があると思います。

 
これを書いている僕自身はデザイナーではありません。僕自身、博報堂のコピーライターになる24歳のころまでデザインのことなど深く考えたことがありませんでした。「デザインなんてわからない」と思い込んでいました。しかし博報堂で6年間もデザイナーと仕事をともにして、その可能性を目の当たりにしました。そして、これから先、もっとデザインの思考と技術が必要となるだろし、もっと活かせるだろうと考えてデザイン会社をつくりました。それは、とても幸運なことだと思います。

 
なぜなら、デザインとは「より豊かな暮らし」を創造しようとする姿勢だからです。よりよい椅子をうみだすこと、よりよい家の形を考えること、よりよいオリンピックを築くこと。デザインとは、ただそういった「よりよい」ものを作ろうとする行為です。楽しくないわけがありません。「デザイン」を理解する人が増えるということは、よりよいものづくりやことづくりをする人が増えるということです。日本の生産性が低い理由は、シンプルに「作る人が少ない」ことにあります。

 
日本の教育課程に「デザイン」をもっと導入するべきだし、理系、文系、デザイン系の三つをつくるくらいが必要だと思います。そしてそれら複数を理解する人材がもっと必要です。もっと普通の4年生大学のカリキュラムにも「デザイン」のコースを取り入れるべきです。

 
ここまで書いた通り、デザインというのは別に難しいことではありません。ある特殊な人のものではありません。あらゆるものにおける、より正しく、よりよい姿を想像し、創造する行為です。成熟した日本の社会だからこそ、デザインの先進国になれるはずです。ひとりでも多くの人がデザインという思考と技術を身につけたら、日本はもっと豊かで、楽しい社会になっていくはずです。

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Keita Makino

Keita Makino

文鳥会長の下で働くCEO

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